戦国時代の姫路城は天守はあったのか




戦国時代の姫路城は天守はあったのか

戦国時代 姫路城 天守 あったのか?

 

大天守、そしてそれを取り巻く小天守で有名な姫路城。まさにこの天守群が姫路城のシンボルともいえますよね。

 

ですが、この天守はいつごろからあったのか?

 

また黒田官兵衛や秀吉時代、つまり戦国時代にも天守は存在したのかという疑問があります。

 

そこで調べてみましたが、結論からいうと、はじめて姫路城の天守が築かれたのが天正九年(1581)。

 

黒田官兵衛が秀吉に姫路城を献上してからの事です。

 

つまりそれ以前には、天守は無かったという事になります。

 

 

 

戦国時代 姫路城 天守 あったのか?

 

天守の定義が現在でも議論されていますが、おそらくは今でいう櫓のちょっと豪華版みたいな建物がそれまで城の中心部分にあったのでは?という説が有力視されています。

 

ちなみに秀吉時代の天正九年(1581)には三層の天守。

 

関ヶ原合戦後の池田輝政時代、慶長十四年(1609)に五層の天守が築かれたようです。

 

 

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