今の姫路城天守はだれが作った?そして歴代城主は?




今の姫路城天守はだれが作った?そして歴代城主は?

姫路城天守はだれが作った? 歴代城主は

 

 

姫路城の歴史は鎌倉時代にまでさかのぼります。

 

 

元弘三年(1333)頃、当時は城ではなく、赤松則村(のりむら)がちょっとした砦を姫山というところ築いたことから始まります。

 

 

その後、則村の次男・貞範が城に改修しますが、この時も文献には姫路城ではなく、姫山の城という名で出てくるようです。

 

 

そして赤松氏の分家で重臣の小寺氏が姫山の城を治めましたが、小寺氏は家臣の黒田氏に姫山の城を任せ、平地の御着に城を築いて移ります。

 

 

やがて戦国時代。

 

 

東から織田氏の勢力が伸びてくると、当時の姫山の城主・黒田氏は羽柴秀吉に城をそっくりそのまま献上し、秀吉時代に三層の天守が築かれたようです。

 

 

その後、関ヶ原の戦いの後、池田輝政が三河国吉田(現在の愛知県豊橋市)から入城し、大改修して五層の天守を築きます。

 

 

なので姫路城には最初から天守があったワケではありません。

 

 

以後、拡張や増築などが繰り返され、現在に至ります。

 

 

では歴代城主と主な出来事をまとめてみました。

 

 

 

元弘三年頃(1333)

赤松則村:姫山に城柵をめぐらして砦みたいなものを築く

 

 

正平元年頃(1346)

赤松貞則:貞村の次男・貞範が姫山に城みたいなものを築城

 

 

正平四年頃(1349)

小寺頼季:貞範は庄山城を築いて移り、小寺氏が守る

 

 

嘉吉元年(1441)

山名持豊:山名氏、赤松氏を滅ぼして播磨守護となる

 

 

応仁元年(1467)

赤松政則:赤松氏復活! この時、本丸、鶴見丸、亀居丸を築く

 

 

文明元年(1469)

小寺豊職:赤松政則は置塩城を築き移ることになったので小寺氏が守る

 

 

天文十四(1545)

黒田重隆:小寺氏は家臣の黒田氏に姫路を任せ御着城に移る

 

 

天文十五(1546)

この年に孝高(官兵衛)生まれる

 

 

永禄十年(1567)

黒田孝高:高(官兵衛)が黒田氏の当主になる

 

 

天正八年(1580)

羽柴秀吉:織田信長から中国地方制覇の命を受けた羽柴秀吉に孝高は姫路城を献上する

 

 

天正九年(1581)

この年に三層の天守を築いたとされる

 

 

天正十一年(1583)

羽柴秀長:秀吉は大阪城を築いて移ったので弟の秀長が在城

 

 

文禄四年(1595)

木下家定:秀長は大和郡山城に移ったので、秀吉正室・北政所の兄である木下家定が入城

 

 

慶長五年(1600)

池田輝政:関ヶ原合戦の戦功で池田輝政が三河国吉田(現在の愛知県豊橋市)より姫路に移る

 

 

慶長六年(1601)

輝政が城郭大拡張工事を開始

 

 

慶長十四年(1609)

五層の大天守が完成!

 

 

慶長十八年(1613)

池田利隆:輝政が病死。長男の利隆が跡を継ぐ

 

 

元和二年(1616)

池田光政:光政が父・利隆の跡を継ぐ

 

 

元和三年(1617)

本多忠政:光政は因幡鳥取に遺封。忠政が伊勢桑名より入城

 

 

元和四年(1618)

家康の孫・千姫が忠政に嫁ぐ。この時、化粧櫓などを築造

 

 

寛永十六年(1639)

松平忠明:本多氏は大和郡山に移封。松平氏が入城

 

 

慶安元年(1648)

松平直基:忠明の子・忠弘が出羽山形に転封。松平直基が城主に。

 

 

慶安二年(1649)

榊原忠次:榊原氏が陸奥白河より入封

 

 

天和二年(1682)

本多忠国:本多氏が福島より入封

 

 

宝永元年(1704)

榊原政邦:榊原氏が越後村上より入封

 

 

享禄十七年(1732)

榊原政岑:榊原政岑(まさみね)が遺領を継ぐ

 

 

寛保元年(1741)

松平明矩:榊原氏は越後高田へ移り、松平氏が陸奥白河から入封

 

 

寛延二年(1749)

酒井忠恭:酒井氏が上野前橋より入封。これ以後、明治維新まで酒井氏が姫路城主となる

 

 

明治元年(1868)

酒井忠邦:この年、明治維新。翌年に版籍奉還となる

 

 

昭和三十一年(1956)

大天守などの解体修理を行う

 

 

平成五年(1993)

ユネスコ世界文化遺産に指定される

 

 

平成二十七年(2015)

およそ五年に及ぶ平成の大改修が終了

 

 

〜参考文献 小学館 名城をゆく2 姫路城〜

 

 

こうやって見てみると、姫路城にはいろんな出来事があり、城主もいろんな人に代わっていることがわかりますね。

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