姫路城の歴代城主、何人言えますか?【リの一渡櫓】
人面石とハ−ト石の門をくぐると、姫路城リの一渡櫓というものがあります。
ココは今まで内部公開されてない櫓で、本丸大天守の改修工事期間中に公開していました。
この櫓が築かれたのは慶長六年(1601)〜十四年(1609)といわれ、昭和二十六年(1951)の解体修理では、チの櫓とともに嘉永四年(1851)にも修理されたことがわかっています。
なかなか見る事ができない櫓内部なので、チェックしてみますがその前にコチラ!
↑なんと姫路城のシャチを江戸時代、明治時代、昭和時代の年代別に展示してありました。
これが各時代に大天守に設置されていたのです。
鯱(シャチ)は想像上の動物で、キホンは魚。でも頭は虎、しっぽは常に空を向いており背中にはたくさんの鋭いとげを持っています。
江戸時代に書かれた【和漢三才図会】という百科事典があるのですが、それには魚虎(しゃちほこ)という表記を見る事ができます。
もともとは寺院堂塔の中にある厨子などを飾っていたものでしたが、戦国時代、織田信長が安土城を築くときに天主(天守)の装飾に取り入れたことにより、普及したという説があります。
そういえば観光旅行で城を訪れた時、多くの城の天守にシャチを見る事ができますね。
名古屋城や京都の本圀寺などには金のシャチがありますね。
さて、なぜシャチを飾ったのかというと、鬼瓦と同じように魔除けや守り神という意味がこめられていたとか。
またシャチは水を表しており、火事などの火を防いでほしいという意味合いもあったようです。
そういえば現在でも陶器製やセメント製といったものが一般の住宅や寺院などで使用されていますよね。
ところで展示してあるシャチですが、キホン、シャチなのですが、時代により若干のデザインの違いがありますね。
進化というか時代的なセンスなのでしょうか。
↑リの一渡櫓内部を見てみます。
中の照明は比較的暗く、櫓内部という独特の雰囲気がありますね。
またここにもいろんな展示がありました。
↑特に姫路城歴代城主の家紋が入った瓦は、一覧に並べてみると歴史を感じますね。
江戸時代、姫路城はたくさんの大名が入れ替わった城のひとつであります。
有名な大名の家紋は見ればわかるのですが、ちょっとマイナーになると『誰だっけ?』みたいにわかりません。
でも瓦にも解説版があるので、より分かりやすくなっていました。
↑そして甲冑。
いつの時代のものかわかりませんが、ココが一番感動したかも。
でもこの照明による演出がまたいいんですよね!
不気味というか、でも甲冑の威圧感が伝わってきます。
ちなみに近くで見る事はできずに遠巻きの見学ですが、これももちろん要チェックです。
↑さて、リの一渡櫓を出ると…
なんと石棺が展示?置いてありました。
前回の記事で紹介した石垣の石棺です。
実は姫路城内部には、いろんなところにかつて石垣に組み込んであった石棺が置いてあります。
それだけ多くの石棺が組み込まれていたということですね。
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