姫路城の十字の鬼瓦は黒田官兵衛ゆかりのものなのか?
姫路城本丸に十字の鬼瓦があるんですが、それが最近話題になっています。
なんでも黒田官兵衛ゆかりのものではないかと。
場所は本丸過ぎてから二の丸に進むところにあります。
↑現在ではわかりやすい様に看板まで建っています。
ちなみに暴れん坊将軍の江戸城のロケ地のすぐ近くです。(←わかる人にはわかる)
この看板に沿って鬼瓦を見てみると…
↑これです!
確かに十字です。
まずなぜこれが官兵衛ゆかりのものといわれはじめているかというと、官兵衛はキリシタンだったからです。
官兵衛がキリシタンに入信した時期については、詳しくはわかっていません。
一説によると、宣教師ルイス・フロイスの手紙や著書である日本史によれば、官兵衛がキリシタンになったのは、天正11年(1583年)〜天正12年(1584年)頃だそうです。
ちょうどこの頃は、本能寺の変後、秀吉が柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いや徳川家康との小牧・長久手の合戦の時にあたるので、ちょうどに官兵衛が、秀吉の軍師として戦場で活躍していた時期と重なりますね。
でもその後、官兵衛は九州に渡っていますし、江戸時代、キリスト教自体、禁止だった時代です。
また姫路城は幾度も城主が変わっているので、禁止だったキリスト教ゆかりの十字を城内に置いておくことは、非常に問題があることでもありました。
そして十字=キリスト教という事ではないということ。
↑例えば薩摩の島津氏の家紋も【丸に十字】で、十字架を思わせるデザインですが、これはキリスト教という意味ではありません。
なので十字の鬼瓦がキリシタンだった官兵衛ゆかりのものというわけではないんですね。
では、この十字はいったい何かというと…
実はよくわかっていません(←オイ!)
これは最近話題になったもので、これからの研究によって、どういったものなのか明らかにされるのでしょう。
↑場所は本丸過ぎてから二の丸に進むところ。
この鬼瓦も姫路城のチェックポイントということで、注意して見てみましょう!
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