姫路城西の丸長局の中はこうなっている




姫路城西の丸長局の中はこうなっている

 

 

早速、姫路城西の丸長局の中に入ってみましょう。

 

 

この建物は、造営された元和四年(1618)当時のもので重要文化財。

 

 

なので中は部分的に狭くなっている場所もあります。

 

 

 

 

 

 


中はこんなカンジになっており、長い廊下が続き、ところどころに櫓の内部である部屋があります。

 

 

キホン、通路には展示物が無く、構造や雰囲気を楽しむといった感じですね。

 

 

でもそれでいいのです。

 

 

この貴重な建造物に価値があるのですから。

 

 

 

 

 

 


長局から外が見えます。

 

 

千姫は西の丸から男山八幡宮を拝んでいたといわれ、現在でも外の景色を見る事ができます。

 

 

まあ、現代では、見える建物も近代的なものばかりですが、よく見てみると男山も見る事ができます。

 

 

 

 

 

 


長局の中の櫓の部屋には、いくつか催しがあり、ここでは黒田官兵衛の合子形兜(ごうすなりかぶと)の試着体験コ−ナ−がありました。

 

 

またこのほか、陣羽織体験コ−ナ−やちょっとした展示物もあります。

 

 

これも旅の楽しみのひとつですね。

 

 

 

 

 

 

 

 


また長局の途中に階段みたいなものがありますが、これは櫓の外の扉に繋がっているものです。

 

 

観光用のものではあく、当時からのものだそうな。

 

 

確かに長局の入口、出口は両端にしかなく、途中から外に出る事ができないため、こういった非常口というか出入り口が必要だったのですね。

 

 

観光用ではないと書きましたが、現代でも非常口として使われています。

 

 

 

 

 

 


そして千姫と娘・勝姫の人形。

 

 

なにやらカルタみたいなもので遊んでいます。

 

 

当時、千姫はお姫様、勝姫は小姫様と呼ばれており、千姫には23人の局や侍女、16人の下女が仕えており、また勝姫には3人の侍女が仕えていたと記録に残っています。

 

 

ちなみに勝姫は寛永五年(1628)、11歳で池田光政に嫁ぎ、寛永15年(1638)、岡山池田家江戸藩邸で嫡男である綱政を産みました。

 

 

まあ、そんな話は後の事として、母・千姫と一緒に過ごしていた頃の様子を見る事ができますね。

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